自分にはマジメに向

裕さんの「ふがふがハナシ」はブログで何度か拝読して知っている。
歯無しにインスパイアされ、歯に関する衝撃的実話を書いたが公開するのはやめた。
閲覧数稼ぎに他人を巻き込む自分のエピソードを切り売りしたくないし、自分だけの胸におさめたいこともある。
かなりその記事はインパクトがある面白い出来だったと自負しているが、やはり公開を躊躇する何かがある。
生乾きのものが乾いた(干からびた)頃にアップするかも。
わたしのブログは実話エピソードや本音から成っているため、こんなブログでも、作り事がない分、けっこう、自分にはマジメに向き合っている。


嘘は書かない。
が、書かないだけのこともたくさんある。
わざと書かない。
それを「嘘」という捉え方も出来る。
とは言え、真実を曲げてまで書かない。
だが、意図して真実は書かない場合がある。
とかなんとか、そんなたいしたものではない。
ではあるが、「それを言っちゃあオシマイ」というようなことは、身近にも世の中にも結構ある。
真実は必ずしも正しいこととは限らない。
人によって真実の捉え方が違う。
真実は一つだ!!と声高に叫ぶ人がいるが、その人にとっての真実だったりして、確信するあまり聞く耳持たない場合は、わたしはあえて触れず、触らぬ神に祟りなしで行く。
核心を突くと、途端にキレることがあるので、近寄らない。
誰にもこころの奥に大切にしたいことがあるようだ。


「あ、そうなんですか〜、ところで食べ物は何が好き?」
と、話題を変える。頭のスイッチ、切り替え。
何かしら食べないと毎日が進まない。
現実が大事。
信念を貫いて生き仏になるならいざ知らず、自分が出来もしない現実離れした中途半端な理想なら無い方が潔い。
と、これはいつも自分に対して思うこと。
あれやこれやモンクばっかり言って、理想ばっかり追求するくせに、自分は何にも出来ない、していない。
そういう自分を恥じることがある。


自分以外のことを誇りに思い自慢したがるくせに、自分自身、自分本人は、なんの自慢出来ることもない。
むしろ、他の皆さんのようにちゃんと出来ない。
この矛盾を無くしたいと日々思っている。


一昨日放映のNHK TV番組、超多様性トークショー「なれそめ」の出演者が、「普通」という枠を外すと、ぱーっと目の前が明るくなり視野が広くなったと話していた。
これでなければいけない、と自分で決めつけていた考えを取り除くと、とらわれていたものから解放された、と。
納得。その通り。
自分は自分。
価値観や基準も、自分で決めて、自分で変える。
それでいいんじゃないかと。
今更ですが。

元気になれる活力があ

裕さんブログ。(※一般的ブログではありません)
極寒のなか、部屋に電気なし。
長年連れ添ったご夫婦で、ほのぼの、赤ワインと蝋燭で一夜。
家族愛、絵が浮かびます。


さて。
ブログについて。
ブログは色々ある。
タイムリーな情報が役立つもの、気づきを得るもの、クスッと笑ったり、ほんわかするもの、元気になれる活力があるもの、刺激を受けるもの、、、
読み手は求めるところに行って(読んで)なんらかのものを得る移民加拿大條件


その中で気づいたことがある。
お隣の奥さん、同僚、たまたまそこに居合わせた人、出先で出会った人、、、
ふらりと立ち寄った先での触れ合い。
中でも、常識人で経験値も高く話題も豊富、角がない丸い人には、人が集まり易いように思う。
いわゆる人気ブログ。


視点も要。
常識が難なく備わった人格者とでもいった人が、直球で真っ正面から素直に捉えている記事は、安心して読める。
博識ブログも、読むと自分が瞬間的に物知りになったような気になる香港專才申請條件
大多数の人が不愉快にもならず、反感も覚えず。
毎日服用するサプリメントの一つのようなかんじか。
人の数だけブログがあり、各々好き嫌いがある。
飽きたりすることもある。
何かほんの些細なことで嫌いになったりすることもある。
それはそれで当たり前。
好きなものを好きな時に好きなだけ、接する、食べる(読む)のが宜しいかと。


なんの責任も義務もない、自由な世界。
さらっと上部の良い一面だけを享受できるなんて。
とは言え、根の部分での繋がりも薄い。弱い中學派位


ちなみに。
読み手と書き手は、違う。
受ける側と、発する側。


人気ブログはたくさんあるが、核となるエネルギーに自分と同じ匂いを感じる人は多くない。

洋人オジサンと一言だけ話

紅葉のベストシーズン。
京都で揉みくちゃになった。
特に、清水寺。
ものすごい人。
ぎゅうぎゅう。
一瞬、韓国でのハロウィン事故が頭をよぎった。
ある程度の年齢になると、過密人混みは避けたほうが賢明電動牙刷推薦
どこかから西洋人ガイジン団体さんの一人が、「ゲイシャ・タウン!?」と歓声を上げていた。
その固定概念の古さに、びっくりした。
わたしが帰りに迷子になった時、偶然、そこにいた、パリから来たという、人の良さそうな西洋人オジサンと一言だけ話した。


街中、バス停には、乗れないバス待ちの人々が長蛇の列。
バスが来ても既に満員のため、ドアは開かず行き過ぎるDermes 脫毛
乗れない乗客は延々とバスを待つ異様な光景。
待っている人全員を一度に、仮に車内が空だったとしても乗せ切れないだろう。
溢れかえる人、人、人。
暗くなっても長蛇のバス待ち人を見て、なんだか恐ろしくなった。
インバウンドもあるのだろうけれど、京都、どうにかならないものか。
嬉しい悲鳴を超えている。
住民の皆さんは生活に支障をきたしているのを目の当たりにした。
11月下旬から新たな公共交通緩和システム(バスと地下鉄、共通切符で途中から相互乗り換え出来るとか)が、行われるらしいが長者助聽器價錢



行ったのがたまたま昨日、平日だったから、まだしも、今日、祝日(勤労感謝の日)だったら、どえらいことになっていたことだろう。
秋の快晴。


しかし、まあ、
京都の秋。圧巻でした。