たりルールを色々教えて

裕さん、ブログ村エッセイの、ご注目の文学ルーキー、どなた様かな?
興味津々。
わたしも本は読まない。
社会的な教養書みたいなものは、たま?に読むことがある甲狀腺抽針
が、ほぼ読まないと言っても良さげ。
ブログ村住人のある方に昔むかし、リクエストされ、自分で小説を書いたこともあるが、ほんの少し。
ちょびっと、リトルビット。
あくまでも要望に応えてみただけのチャレンジだった。
当時、リアル知人が文章教室で小説を習っていたこともあり、小説を書くにあたりルールを色々教えてくれた。
が、それが重苦しく、自由に書きたい野生児のわたしとしては、窮屈で足枷になった。
自分が好きなように伸び伸び書きたいわたしには、面白くなかった。
なので、一作でやめた。
制約やルールは、わたしは大嫌いである盆腔超聲波檢查


ちなみに、他人の書いたものを読む時、わたしは、文章表現法はさることながら、視点、感性、考え方、捉え方に着目する。
だが、かなり良い内容でも、書き方があまりにも読む気を削ぐようなら、ちょっとだけ読んで、サジを投げる。
読み進める体力がない。Too hard しんどい。


あるいは、難解すぎるものもNG、
何が言いたいのか、何を言っているのか、さっぱりわからないものもNG。
当たり前のことを当たり前に書かない作風は、わりと好き。
自分が興味あることしか読まない。
そして、究極は、自分に関わりがあるものしか読まない。
いたってわかりやすく、現実的。
だが、歴史や科学、自分には直接関係ないが、人間には間接的に関わっているから、脳が元気な時は読む。
さらさらと、すでに知識として知っていることの確認、答え合わせみたいなものか。
知らないことに出会うと、結構、脳は喜ぶ。
まだ脳はそれなりに生きているようだ被蚤咬


互助会的なブログは敬遠する。
(会員同士がフォローし合うもの)
いいね!のポチは増えるかも知れないが、いずれ苦しくなってくる。
縛られないものが気楽で良い。
ただし、アクセス数は増えない。
あれもこれも、欲張るには、それだけの筆力や人気がないと無理。
中にはすごく文章力がある人もおられるが、所詮他人なので、山のように存在する達筆家の中に埋もれてしまう。
やはり、自分と何らかの接点、関わりがあるものに興味引かれる。
つい最近では、農作しておられる方とか、自然界で生きておられる方、昔流の暮らしをされている方、、、応援したくなる。
わたしには出来ないことだからだ。