の方はお読みになっ

使いこなせたら、変な文章ではない、さぞかし精製された熟練度アップの文章が書けることだろう。
スキルアップ間違いないだろうけれど、もはやわたしの文章ではなく、わたしの手を離れている。
それはそれで素晴らしいのだが。
イソップ物語の「酸っぱい葡萄」になっている。
出来ないのではなく、してないからだ、とすり替える、負け惜しみの言い訳。
しかし、これはわたしの人生スタンスでもあるMedilase 脫毛
完成されないわたし。


と、冒頭の一行のせいで、いきなり、脱線。
文法や言い回しに自信がないというのはツラい。
昨日アップした記事、アップした瞬間にアピール記事にしたのだが、あらまあ内容が間違っていた。
有吉佐和子、1931年生まれを勘違いして「団塊の世代」と書いてしまっていて、慌てて訂正したが、もう、数人の方はお読みになった後。
まあそういうこともある。
わたしのブログは信用ならない。


さて、話を戻す。
昭和は隔世の感である。
昭和生まれ、昭和育ちの親に育てられ、自分もずっぽり昭和人間Hifu 效果
それはまあよい。
問題は、配偶者(夫)が、昭和カチカチ頭だということだ。
時代の流れには全く着いて行かない、着いて行けない。
時代の良い面は踏襲すべきだが、改革して欲しい意識面は、全くびくとも変化しない。
男尊女卑だったり、家父長制だったり、明治の流れをそのまま無意識に引き継いでいると思われる。
昔の、おボッチャマ。
昭和どころではなく、改革のしようがない。
なので、治らない傷口のごとく、当たらず触らず、そっとしている。
火薬庫には近寄らない。
負けるケンカはしない。
そもそも夫は自分が優位に立てるような人物を人生の伴侶に選んだ。
わたしは負け続けることが、生きる道。
その道を捨てることも出来るが、今はしない。
そのうち道は拓けると信じているから、余裕のスマイルだ。


第一、俯瞰的に宇宙規模で見ると、わたしの不幸は蟻より小さい。
それを不幸と呼ぶことさえ、憚られる。
世界中に不条理がまかり通っているが、誰も何も出来ないprofhilo副作用
正論を唱えても通らない。
多くの悲劇がこの瞬間にも巻き起こっている。


ただ、世界中の悲劇は胸が痛いが、直接、関係ないと言えば関係ない。
一人一人の痛みを我がことのように深く強く感じ入りシェアしていたら、身体もこころもズタズタになる。
神経が持たない。病気になる。
それはそれで他人事だからと無関心になるのは良くないとしても、先ずは自分の快適な日常を確保するほうが第一。