らなんとなく思っている

わたしの知性面の大師匠であり、先生である、とあるFIREブロガーさん。
毎日更新されるブログに啓蒙啓発されているが、前々からなんとなく思っていることがあった。


この方は、ご自分が歩んでこられた道に、何一つ、後悔がない移民多倫多
というか、年老いて後悔しないよう、悩みや迷いの末に、舵を切り今日に至っている。
曇り一つない。
そして、これまでの歩みは、素晴らしい。
正々堂々、どこに出しても恥ずかしくない立派な輝かしいものだ。
その点には私は脱帽し、尊敬している。


が、おや?と、ふと感じたことがある。
奥さんに関する記述が一行あった時だ。
あれ?
わたしは妻の立場を長年やってきて、夫が思っている妻像、なんだか違う、違和感を覚えた。


このブロガーさんのように努力し、自信を持って人生を邁進する、、、なかなか出来そうで出来ることではない人民币国际化
なんの異論もない。
全ての事柄に、立証できる文献なり研究なりの証拠を示して力説される。
納得できる。
この「全ての事柄」というところに疑問を感じた。
学問、科学や政治、経済は研究すればするほど幅や奥を知る。
そして、研究の結果、自分の信念を持ち確立する。
まるで意義なし。


人間のこころについては、幸福論を追求するのがこの方の生涯のテーマなので、これで全てが網羅されている。
が、、、わたしの疑問はそこにある。
文献や研究、データに基づく分析、理解葡萄牙移民
これは大事。
単なる勘や思い込みがもしあったとしても、それを仮定として、立証できれば良い。
立証プロセスこそが重要である。


それはその通り。
で、疑問はほとんど解決され、さらに幸福を深め邁進するために、日々、充実した時間を能動的に過ごされている。


が、しかし、、、
そのブロガーさんの奥さんのことは、全て自分が思っている通りだと、信じておられるようにお見受けする。
客観的学問的探求と、実際の「灯台下暗し」的な感覚。
現状において幸せな人に、不安を煽って新興宗教に誘う手口に、こういう切り口がある、、、が、わたしは新興宗教の手先でも幹部でも教祖でもない。
わたしと、ブロガーさんの奥さんは、全くの別人、別人格なので、同じではない。
何の利害関係もない。
一緒くたにしてしまい、自分の考えを押し付けるのは、筋違いで間違っている。
なので、ここからは話を一旦離脱させる。


何の疑いも持たない自分の信念を持っている人は、オメデタイ場合がある。
厄介である場合がある。
何も知らない。
自分が正しいと思い込んでいる。
むしろ、他人の意向や意見に振り回されるのは、幸福になる障害である、と説く。
自分軸を持つ。
つまり他者の言うことを聞かない、耳を貸さない。
一旦聞いてから、言うままにならない、従わないのならまだしも、最初から耳自体を持たない。
自分の考えに疑う余地もないと思っている。