更に新しいルールとしては

トランプ。
ゲーム中、先に勝った小学2年の孫が、わたしの背後からカードの出し方をアドバイスしてくれる。
「今、この強いカードから出す!」と通渠
もう完全に孫に完敗した。
ババ抜きとか、そういうアタマを使わないゲームではなく、カード配分と出し方のタイミングで勝敗が決まる「大富豪」というゲーム。
わたしの若い頃は「大貧民」と呼ばれていたもの。
わたしの時代では無かったものだが、4枚同じ数字を揃って出すと「革命」と呼ばれる、強いカードと弱いカードの価値が逆転するルールや、更に新しいルールとしては、「11」を出された次の人からはカードを11より弱い順に出さなければいけない縛りが加わった。
わたしの時代のルール、娘や娘婿の時代のルール、地方ルールも加わり、面白い。


理解力、記憶力、思考力、即戦力、小学2年の勝ち!!
あっぱれ。
はぁ〜⤵️
喜んでいる場合ではないが服務式辦公空間


娘、娘婿、小4男児孫、小2男児孫、わたし、5人で「大富豪」をすると白熱。
保育所年中・女児孫が加わると、(5歳孫は)大富豪が出来ないので「ババ抜き」にチェンジ。
2歳女児孫は最近は、以前ほど激しく邪魔をしなくなった。
いずれ3年も経つと参加することになるだろう。
わたしの勝算順位はどんどん落ちそう。
皆んな、わざと負けてくれるかも知れない。
そう遠くない将来だ。


欲を言えば麻雀が良いのだけど、麻雀は1卓で4人しか出来ないし、幼児では無理だから、やはりトランプが無難。
姑とも子供が小さい頃、夫の実家に行くと
わたしたちは5人でよくトランプをした場地佈置
娘もわたしも懐かしいシーンが蘇る。
娘は孫だった当時を、わたしは嫁(母)だった当時を再現している。
姑役をわたしがスライドしてバトンタッチ。娘は当時のわたし(母)役にスライド、当時のわたしの子供たちは今の孫たちに入れ替わる。
姑がいなくなった代わりに孫たちが時間をスライドして順番に一代ずつ時代が移り送られている。


先日見た写真。
寝転んでいる若い舅の頭をぽんぽんと軽く叩いている幼児。
幼児は、夫の姉の子供。舅にとっては初孫。
(その幼児も、成人して家庭を持ち、子供はもう社会人。孫が出来ても不思議ではない歳)


同じ部屋、同じアングルで、寝転んでいるのは、夫。ぽんぽんと叩くのは孫。
そのショットとダブった。
目の前に同じ光景があるが、時代は移っている。
(さらに、ぽんぽんと叩く乳幼児だった孫はトランプ指南までしてくれるようになった)


同じ空間に代が代わり時間だけが移っている。
静かな幸せの光景である。
些細なことにこだわったり、腹を立てたり、ほんとうに小さな小さなことだと感じる。


ほんの僅かな摩擦は生きている証拠。
そうやって毎日ガチャガチャしながら、
過去から現在、未来へと、大事な生命を育んできている。

簡単に出来るではないか

ちなみに、、、
滅多に書かない料理の話を書く。
「ぬた」と「菜の花の和え物」を作った。
生まれて初めて。
「わけぎ」と「菜の花」
両方とも、畑の恵を人からおすそ分けいただいた。
どうしたら良いのかわからず、しばらく放置していたら、菜の花が咲いた。
こりゃいかん、と、早速お尻を叩かれるように料理した銅鑼灣牙醫推薦
クックパッド※は、賢い電子お姑さん。
(※日本最大のインターネット料理レシピサービス)
なんでも教えてくれる。


驚くほど簡単に手間要らずで、味わい深い2品が出来上がった。
居酒屋で「ぬた」を注文することがある。
わたしの好物だ。
自分では作れないし、、、と思っていた。
酢味噌も既製品を買ったりしていた。
なんのことはない、赤子の手を捻る(これ、虐待なんだそうだ)より、簡単に出来るではないか。
しかもイカは高いので、竹輪にしたら、安上がり、この上ない永久脫毛
酢味噌との絡みが、とても良い味わいで美味しかった。
4本入り竹輪、88円也。
2本を豚汁に、1.5本をぬたに、0.5本を0.25本ずつ、小4男児(1番目孫)と小2男児(2番目孫)に「ちょうだい、ちょうだい」と群がられ、オヤツの一部として開けた口に放り込む。
料理に使うから、「今日はこれだけよ」、と制限激光脫毛副作用
88円÷4本÷2つ÷2人=5.5円
ひとり5円50銭か。
(わたしが子供の頃【半世紀以上前】は、飴1個、1円だったような?)


と、あとは豚汁、きんぴらゴボウ&レンコン、西京焼き魚と、和食メニュー。
やっとわたしも、おばあちゃん達が作っていたような和食を、普通に作れるようになったと、喜んでいる。
ただし、クックパッド先生のレシピ。
ばあちゃんの味は、クックパッドの味。

自由に自分を解き放つ分野

前日、ふと目にした光景。
制約なく「自由に行動してください」と許可が出ると、全員同じことをする倫敦 樓盤
これがとても不思議である。
一斉にスマホをいじる、とかではない。


それは、あるダンス練習場とのこと。
全員黒いウエア。
決められたユニフォームでもない。
何を着てもよい。どんな色でも形でもよい。
それぞれに黒を着る理由はあるようだ。
が、自由選択の結果、全員黒。
お葬式??(違う)


ある人のコメント。
色柄ものを着て、悪目立ちしたくない、、、んだそうだ。
悲しく浮きたくないと。
この発言にわたしは衝撃を受けた搬屋報價
と同時に失望した。
皆んなと同じようにしないと落ち着かないということ。
チームプレーではなく、個人が勝手に集まっている練習場。
発表会を前に演目のウエアを揃えているわけではない。
皆んな同時に自由になっても、自由の表現は、横並びかと。
これこそ悲しい同調だと思う。
社会で生きてきて培ってきた知恵だろう。
叩かれたくない、悪い評価を受けたくないという消極的な自衛。
しかし、この考え方、誰が非難出来るだろうか。


ただ、趣味分野のことなのに、と思う。
自治会や親戚付き合いや、仕事がらみでもない、なんのしがらみもない、自由に自分を解き放つ分野なのに。
そういう自由時間にも、その人らしさが出るのだろう。
一人旅専用のパック団体旅行のよう。
全員がおひとり様の団体ぞろぞろ。
手堅く賢いけれど、わたしはあまり共感を覚えない服務式住宅 月租
まあ人それぞれ、誰の忖度にも関与せず影響されず、自分が快適な道を行けばよい。



ちなみに。
キムタクと綾瀬はるかの映画「レジェンド アンド バタフライ」を観た。
ストーリーとしては、意図的に女性に気を使ってくれたと感じた。
あれ?路線大チェンジ、タイタニック?


それはそうと。
娘たち(長女と次女)との話題、LINEやりとりのテーマ。
「夫の実家に帰省した時、嫁は料理を作るのか?」
長女Mと次女Rの夫の実家での、あちらのご両親の対応が興味深い。
長女Mの夫の実家。
嫁であるMが台所に立たされそうになった、と。
(夫は第三子で末っ子)
次女Rの夫の実家。
お客さん扱いで、ご両親から暖かいおもてなしを受け、夫は台所で料理を作った、とのこと。
(夫は一人っ子)
わたしの実家にわたしの夫が訪れた時は、夫はお客様で接待される側。
母は接待をわたしに丸投げ。
わたしがちゃんと夫を接待できていないと母に叱られた。
時代が移ると変わるものだ。
だがしかし、いまだに夫は自分の家に娘の夫(婿)が来た時も、接待するどころか、若いお婿さんにお給仕されたりしている。
彼のアタマはどうなっているのか。


それにしても、織田信長の時代に、令和の現代の女性が喜んでしまうようなストーリーは、どうも自然ではないように感じる。
現代女性への忖度?