それも笑いにする手も

涙あり笑いあり、人生いろいろ、、、と、ありきたりのフレーズを書いてみる。
しかし、ありきたりこそ、幸せが詰まっている。
平凡は嫌、人と同じは嫌、、、それもモチベーションになるなら善しとしよう。
本当にこころから思っているのであれば經絡按摩


クリエイターにとって(わたしはクリエイターではないからまあ助かるけれど)1番恥ずかしいのは、唯一無二の自負で発露したものが、人とかぶること。
人間だもの、同じアイデアでも当然。
苦労して苦心して力の限りを尽くして、汗と涙と血の一滴から生み出したものが、同じようなものが既に出ていたら、、、。
これとは逆の汗も血も涙も出ない方法は、、、流行っているものに乗っかる。
ちょっとアレンジを加える。
皆んなウィンウィン。
ゼロから、何もない道、獣道、荒野を開墾、開発するのは並大抵ではなく、評価も生きているうちには得られないこともある肩頸按摩
が、ありモノをパクるのは常套手段。
そうやって流行を作り上げて、広げていく。
だが、仕掛け側は、研ぎ澄まされた着眼点、取捨選択が要。



平凡な笑いのネタ、ジョーク、ダジャレ、オチがかぶると、あちゃーっとなるが、それも笑いにする手もある。
場の雰囲気を汲み取り、とっさのアドリブや間合いを取るのが、一種の才能かなと。
だが、お笑いにも流行がある。
かつての引っ張りだこタレント人気も全然面白く感じない、むしろ痛々しく感じたりして、時の移ろいは残酷。
時代の寵児とはそういうもの。
ファンというものは、家族ではないわけで、自由意思であっちへ行ったり、こっちへ来たり。
移動に制限も規定も、義務も責任もない去暗瘡疤


特にバラエティ番組(首の皮一枚でまだバラエティ番組を最低限数、持っているようだが)で若い女性に対するジェンダー時代遅れ発言を懲りずにしていると、その人物が終わったことを確信する。
ではあるが、一時期でも、注目され、流行ったのだから、まあよし。
一時代を築いた、世相を反映する時代の証人。


価値観も変わる。
お笑いのネタにする内容やテイストも、時代と共に求められるものが移り変わる。
時代は敏感である。
時代劇然り。
わたしは今、時代劇を直視できない。
聞き流すことも無視することもできない。
次から次へと、ハラスメントの嵐。
作り物だとわかっているが、不快、怒りを通り越して吐き気がしてくる。
神経の傷つきやすい過敏な部分をこれでもかこれでもかと痛めつけるシーンが登場してくる。
誰に向けたらよいのかわからない、憎悪が湧き出て来る。
その大衆娯楽である時代劇が大好きな夫。
日々の安らぎ、癒しにして明日の労働再生力の糧になっている。
その貴重な糧を奪ったりすることは出来ない。権利もない。
なので、隣りの部屋との間にある扉をカチャンとぴったり閉めて、時代劇(その他も)を見てもらう。
これは、TV番組の好みだけに言及できない。
こころの扉でもある。
お互い、相手を傷つけないよう、不快にさせないよう、出来るだけ気遣いする。
考え方や感性、価値観は、変わらない。
なので、線引きする。
変えようと躍起になって無理しないで、近寄らないのが次善策。
そっとグレーゾーンを作り、交わらないように気配りする。