部員紹介をインターネ

長女Mは、ガチャガチャしていないクール系。
先日、長女Mが学生時代に所属していた体育系クラブの部員紹介をインターネットで見つけて読んだ。
一種のデジタル・タツーであるが、面白かった激光脫面毛
部の後輩が先輩を一人一人紹介するものだった。
紹介文がなかなか的を得ていて、長女Mが後輩に恐れられている様子がうかがえて、笑えた。


今、ファミリーに新しい人材が一人増えて、異才を放っている。
次女の夫なのだが、全ての面で、異文化流入感がある。
やはり、遠い地からの文化が運び込まれるのは、カルチャーショックとなり、変化をもたらす。
次女の夫にしてみても、カルチャーショックかも知れないが。
次女は、新しい文化と、自分が生まれ育った文化の狭間で、気を揉んでいることだろう。
二人の別々のキャラクターが生み出した、またまた新しいキャラクター(ベビー)を育てながら、異種が混ざり、家族になっていくのかなと永久脫毛


わたしは次世代の若者、男性が3人も周囲にいて、幸せである。
一年に数回しか集まらないが、似たり寄ったりの年齢のおとこたち。
最年長と最年少では、3歳しか離れていない。
同じ時代の空気を吸って成長している、この3人。
一人は実の息子、二人は娘婿。
わりとティストが似ているのは、解せる。
なぜなら、姉妹の夫たちなので、姉妹は共通のものがある。
そして、性別は違っても、きょうだいにも、共通のものがある。
だから、全員似たような年齢で、似たような雰囲気。
当たり前といえば、当たり前。


スポーツ選手も、芸能人も、芸術家もいない。
非道な極悪人も遊び人も禁治産者もいない755 脫毛
仕事の系統は似ている。
だから、5人集まると、似たり寄ったり、話さなくても話しても、共通のものがある。
ジャンル的に同じ世界にいるような気がする。
娘婿たちのご両親たちも、またそれぞれの地方に根付いた生活を送られていて、それぞれに個性がある。
面白いものだ。
明るく朗らかな人々で、ほんとうに幸せだ。
感謝している。
誰に?
わたし教の神様に。

それも笑いにする手も

涙あり笑いあり、人生いろいろ、、、と、ありきたりのフレーズを書いてみる。
しかし、ありきたりこそ、幸せが詰まっている。
平凡は嫌、人と同じは嫌、、、それもモチベーションになるなら善しとしよう。
本当にこころから思っているのであれば經絡按摩


クリエイターにとって(わたしはクリエイターではないからまあ助かるけれど)1番恥ずかしいのは、唯一無二の自負で発露したものが、人とかぶること。
人間だもの、同じアイデアでも当然。
苦労して苦心して力の限りを尽くして、汗と涙と血の一滴から生み出したものが、同じようなものが既に出ていたら、、、。
これとは逆の汗も血も涙も出ない方法は、、、流行っているものに乗っかる。
ちょっとアレンジを加える。
皆んなウィンウィン。
ゼロから、何もない道、獣道、荒野を開墾、開発するのは並大抵ではなく、評価も生きているうちには得られないこともある肩頸按摩
が、ありモノをパクるのは常套手段。
そうやって流行を作り上げて、広げていく。
だが、仕掛け側は、研ぎ澄まされた着眼点、取捨選択が要。



平凡な笑いのネタ、ジョーク、ダジャレ、オチがかぶると、あちゃーっとなるが、それも笑いにする手もある。
場の雰囲気を汲み取り、とっさのアドリブや間合いを取るのが、一種の才能かなと。
だが、お笑いにも流行がある。
かつての引っ張りだこタレント人気も全然面白く感じない、むしろ痛々しく感じたりして、時の移ろいは残酷。
時代の寵児とはそういうもの。
ファンというものは、家族ではないわけで、自由意思であっちへ行ったり、こっちへ来たり。
移動に制限も規定も、義務も責任もない去暗瘡疤


特にバラエティ番組(首の皮一枚でまだバラエティ番組を最低限数、持っているようだが)で若い女性に対するジェンダー時代遅れ発言を懲りずにしていると、その人物が終わったことを確信する。
ではあるが、一時期でも、注目され、流行ったのだから、まあよし。
一時代を築いた、世相を反映する時代の証人。


価値観も変わる。
お笑いのネタにする内容やテイストも、時代と共に求められるものが移り変わる。
時代は敏感である。
時代劇然り。
わたしは今、時代劇を直視できない。
聞き流すことも無視することもできない。
次から次へと、ハラスメントの嵐。
作り物だとわかっているが、不快、怒りを通り越して吐き気がしてくる。
神経の傷つきやすい過敏な部分をこれでもかこれでもかと痛めつけるシーンが登場してくる。
誰に向けたらよいのかわからない、憎悪が湧き出て来る。
その大衆娯楽である時代劇が大好きな夫。
日々の安らぎ、癒しにして明日の労働再生力の糧になっている。
その貴重な糧を奪ったりすることは出来ない。権利もない。
なので、隣りの部屋との間にある扉をカチャンとぴったり閉めて、時代劇(その他も)を見てもらう。
これは、TV番組の好みだけに言及できない。
こころの扉でもある。
お互い、相手を傷つけないよう、不快にさせないよう、出来るだけ気遣いする。
考え方や感性、価値観は、変わらない。
なので、線引きする。
変えようと躍起になって無理しないで、近寄らないのが次善策。
そっとグレーゾーンを作り、交わらないように気配りする。

に思い込んでいたが

今、かなりブルーな気分になっている。
ブルーというよりは、黒。
明日になれば晴れる。
こうやって、いつも自分を騙し騙し生きているBB無便便


田中裕子主演の映画「おらおらでひとりいぐも」を観た。
タイトルから女性の自立した生き方を提案してくる、元気をもらえるような映画かと、勝手に思い込んでいたが、違った。


主人公は75歳の設定かと思いきや、さらにもう10歳、田中裕子の演技や演出によって、上のような印象を受ける。
ライフスタイル、歩き方、体型、服装から受ける年齢イメージ。
でも、8歳?9歳?ぐらいの孫がいるから、やはり70代か?
わたしは60代真ん中あたりだが、同じ年頃の孫がいる。
おばあちゃんたちは、もっともっと若い。
ちょっと、年齢整合性、チグハグ感を感じるBB轉奶粉


主人公は、今の新しい時代の女性になるんだ、と1964年に田舎を飛び出し、好きな男性と結婚。
わたしとちょっとしか年齢が変わらないのに、違和感を覚える。
わたしも相当古臭いシーラカンス田舎出身であるが、さらに古く感じる。
が、日本の北のほうは、西とこんなに違うの?まるで外国みたい、と思った。


わたしが生きた時代と同じなのに。
しかも時代の最後方、古臭いわたしなのに。
映画に使われているのは、ダイワハウスの家のようだったが、キッチンは最新。
時代設定としてはあんなものか。
だが、わたしは直に畳やカーペットに座るのは、しんどい。
絶対に椅子かソファ。
そして、テーブルにミカン、て、ギャグ?
手編み風ロングベストのホームウエアの服装もギャグ?
うーん、、、共感を覚えない3D mammogram hk、、、。


年代や年齢がほぼ似ているのに(10歳違い)、全くといっていいほど、感覚が合わない。
わたしの20年先なら、あり得ると思うが。
どうも、映画とわたしの接点のピントがぼけてしまった感がある。


しかし、ひとつ思ったことがある。
趣味は大事だ。
静と動。
インドアとアウトドア。
社会との結びつき。
基本には健康あってこそ。
それと、余裕。


いつも思うことは同じ。
たどり着く結論は同じ。
変化がないのは、ボケの始まりか?